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我々はアノニマス 天才ハッカー集団の正体とサイバー攻撃の内幕

★★★★☆
ウィキリークスや中東革命の支援によって、広くその名を知られることになったアノニマス。彼らはいったい何者なのか。その実像に迫った本書を読んで、私が感じたのは思想的な隔たり、そして感覚的な近さだった。アノニマスを生んだ母体は「4chan」という英語圏のインターネット掲示板であるという。創始者クリストファー・プールは「2ちゃんねる」に大きな影響を受け、同じようなネットサービスを目指して「4chan」を立ち上げた。「2ちゃん」と「4chan」の違いは何かと聞かれてプールは、「そりゃあ、2ちゃんの2倍面白いんだよ」と答えた、と本書は言う。2ちゃんねるといえば、私はずいぶん悪口を書かれた。最初のうちは「口の悪い奴が多いな」「なんて性格が悪いんだ」とショックを受けたものだ。同時に、いかに陰口や悪口が好きな人が多いか、「正義」の側に立って人を攻撃したい人が多いかをまざまざと見せつけられたような気がした。2ちゃんねるの創設者である西村博之(ひろゆき)氏はよくこんなことを言う。2ちゃんねるは有害だから閉鎖しろ、という人がいるが、たとえ2ちゃんを閉鎖してもまた同じようなものができるだけだ。それならば、まだコントロールされている2ちゃんねるのほうがましではないか、と。たしかにそうだろう。人間にはそれだけダークな部分がある。人を妬み、憎み、陰口や悪口を言い、誹謗中傷を行い、「正義」の立場から人を攻撃したい、といった欲望があるのだ。そのダークな部分の集積が2ちゃんねるである。ふざけて飲食店の冷蔵庫に入ったアルバイトの素性を必死で探り当てて、個人情報をネットに晒して大喜びしているような2ちゃん住人たちの行動は、私にとってはまったく理解できないものだ。が、「そういうものは世の中にあるんだよな」と思うしかない。

したがって、2ちゃんねるに影響をうけた掲示板を「起源」とするアノニマスにしても、思想的には相容れない部分のほうが多いのだ。個人の素性を暴いて攻撃したり、正義の名のもとに誰かを叩いて楽しむといった嗜好は私にはない。また、これも2ちゃんと共通する部分だが、彼らの「嫌儲」思想――経済的な利益をあげること自体を罪悪とみなす思想にもまったく共鳴できない。だが、一方で、本書に描かれたアノニマスの派生集団「ラルズセック」の少年たちの姿を見るとき、私は彼らにある種の共感を抱くことも事実なのだ。どこに共感するのか。それは、彼らが抱えているあまりにも深い「退屈」にだ。アノニマスを実質的に率いたといっていい「ラルズセック」のメンバーたちは、ほとんどが10代の少年である。へき地と言ってもいいほどの地方に住んでいて、学校にもほとんど行っていない。そして毎日18時間もネットに没入する。なぜそうするかといえば、退屈だからだ。彼らの住んでいるところは、見渡せば寒々しい田舎の風景があるばかりで、なんの刺激も見当たらない。家庭は貧しく、学校の授業はつまらないし、教師に意見を言えば生意気だと疎まれる。同級生も親も兄弟も、周りにいる人間はすべて、話していても少しもおもしろくない連中だからだ。かくして彼らは自分の部屋に引きこもり、仮想の世界に没頭する。現実世界と実際の接触などまったくしなくていいのだ。なぜなら、退屈だから。それは、私が高校生だったころに感じていたのと同じ退屈のはずである。東京のような刺激の多い街に住んでいればまだいい。知的な刺激に飢えている少年が地方に住んでいたら話が合う相手などいるわけがない。といって、勉強にせよ遊びにせよ、何かにハマることも難しいのだ。集中力が強く、頭の回転が速い人間はある程度何かにハマるとすぐに飽きてしまう。先が見えてしまうからだ。いまハマっていることを徹底的に極めたとして、どの程度のものか、早い段階で気づいてしまう。これでは、何をやっても退屈から解放されることはない。私が10代の頃は、まだインターネットという抜け道がなかった。だから田舎で退屈を持て余している少年は、なんとかして都会に出て行くしか方法がなかった。実際、私はそうした。だが、いまは誰でもネットにアクセスすることができる。身近にいるのは退屈な人間ばかりでも、ネットでは遠く離れたたくさんの相手と繋がることができる。だから、おもしろい人間に会える確率が飛躍的に高まる。しかもネットを通じて自分の能力は拡大され、現実に対して大きな影響力を行使することができる。おもしろくないわけがない。
「ラルズセック」の少年たちはアノニマスでの活動に情熱を傾けていくが、その心理が私にはよくわかる。もしも私がネットの普及した現代の高校生だったとしたら、ひょっとすると彼らの一員になっていたかもしれない。いや、今だって私は基本的に退屈しているのだ。ある程度有名になって、おもしろい人と会える確率は上がったが、それでもやはり人と話していて刺激を受けることは少ない。酒でも飲んで感覚を麻痺させなければやっていられないような気分になることもしばしばだ。本書の「主人公」たちや私にとって、現実世界はつまらなすぎるのだ。そして、ネットを通じたさまざまな行動は、壮大な暇つぶしなのである。