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ホリエモンWITH Windows隆興の礎を作った伝説の日本人。マイクロソフトを支えた天才プログラマー 中島聡 3/4

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「ダメだと知りつつ直す気もない。それが今の日本のすべてかなって」

堀江 プログラミングをすることが、すごく楽しくてみたいな。

中島 プログラミングでは、いきなりアスキーでもナンバーワンになっちゃったから、あまり学ぶとこもなくて。本来ならプログラミングがある上でどうやって売ってるとか、どうやって会社を作るっていうのを学べばよかったのに、全然それは学ばず、という感じですね。

堀江 今みたいにインターネットがあったら、また違ったのかもしれないですけどね。

中島 そうですね。あと、ベンチャーっていう言葉だとか、全然イメージ沸いてなかったですよ。

堀江 僕も、会社を作ったものの上場とかそういうのは、全く知らなかったのですけどね。株式公開とか上場とか。

中島 タイミングの問題もあるんじゃないですか。私なんかバブルの真っ最中でしたから。大企業イケイケじゃないですか。だから、ちっちゃい会社っていうのはダメなんだろうって見下していた。日本全体が見下してたと思いますよ。僕が大学卒業したのが83年で、院卒が85年ですから。本当に超バブル。

堀江 これからバーッというところですね。僕は完全にバブルは崩壊していましたからね。

中島 それもあったんじゃないですか。

堀江 日本経済右肩下がりみたいな感じで、僕らの世代は第二次ベビーブームとか、団塊の世代のジュニアの世代なので、人口ピラミッド見たら、どう考えても大企業がやばい、終身雇用という幻想になんでみんな気付かないんだろうって、僕は友達みんなに言ってたんですけど、「なにお前、バカなこと言ってるの?」って逆に言われましたからね。東大の人たちって、みんなすごい頭いいと思うんですけど、ミクロなところはすごく賢く、要領良くいくんですけど、マクロの部分はあんまり見ないんですよね。不思議です。

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中島 ちょうど一回りぐらい違うじゃないですか。その間に起こった変化。例えば僕の世代の連中が、終身雇用を期待して大企業に入っちゃったのは時代的にそうだったから、しょうがないじゃないですか。その人たちは今、悩んでいるわけですよ。だってある意味、終身雇用っていうのは若いときに安月給で頑張る代わりに一生雇ってもらう。半分持ち出しが多かった人たちだから、今取り返さないといけないから取り返そうとしているわけですよ。ただ、そこはしょうがないと。本当は悪いことなんだけどしょうがないとして、その1個下の世代、ちょうど今40ぐらいの人たちは、本当は終身雇用が破壊されつつあることは知ってたにも関わらず大企業に入って、でも彼らが引退するまで会社持たないですよね。それをわかっているのかっていう。この前も、NTTの経営企画部にいる、ちょうど42ぐらいの人と話した時に、正直に言うんですよ。「うちの会社、泥船だ」って。沈むことは決まってるんだと。それが今の日本のすべてかなって思って。そういう連中は、もう駄目だと知りつつ直す気もない。本当はドンガラリとやればいいんだけど、したくない。みんなで先送りしてるみたいですよね。

堀江 とりあえず目の前にある社業を守るのが自分のミッションだから。

中島 みんなそうですよ。Microsoftだって結局、失われた10年はWindowsを守り続けたからじゃないですか。

堀江 もったいないですよね、でも。

中島 でもやっぱね、怖いんですよ。

堀江 怖いんですか。

中島 僕がちょうど、Microsoft辞める前に、98年かな。Netdocsっていう、要はGoogle Docsみたいなブラウザ上でワープロが動くっていうプロジェクトを始めてやったんだけども、やりながら全然話が変わっちゃって大変でしたよ。。

堀江 Googleスプレッドシートとか。

中島 そう。要はブラウザの上で動くMicrosoftのOfficeを作りたくて、実際にワープロとか動き始めていたんですけど。だけど、どんなブラウザでも動くっていうのはけしからんっていう話がビル・ゲイツから直々に下りてきて、ActiveXコントロールとかいうものを使えっていう指示が出て。プロジェクトがどんどん変わってきたら、今度Microsoft Officeグループから、「何けしからんことやってるんだ」って。Officeがいるところには来るなっていわれて、行き場所がなくなっちゃったんです。それはちょうど、Microsoftがその時期、特に2000年代はずっとそれをやってましたよね。

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堀江 そういうやめたきっかけとか、連載されてましたよね

中島 でもNetdocsが一番のあれですよね。会社でかくなっちゃったから。僕はバーッとプログラム書いて、それをパッと世の中に出す、それで反応を見るのが大好きだったから、それができないならいいやって思って。

堀江 アメリカに再度渡ったのは?

中島 89年だから。そうですね。時系列で戻ると、NTTからMicrosoftに移ったのが86年で、89年にアメリカに行った。

堀江 3年は日本にいた?

中島 そうです。

堀江 何作ってたんですか?

中島 Windowsの日本語版とか、OS/2の日本語版とか。日本語化とかダブルバイトサポートとかそういうのやってました。でも日本語化っていうのはちょっと面白くなかったから、本体でやりたいって話しに行って、向こうに行かせてもらったんです。

堀江 そういうことなんですね。その時、ストックオプションとかもらったんですか?

中島 もらいましたね。何も知らなかったけど、もらいました。

堀江 西さんはずっとそれを悔しがっていましたからね。

中島 彼は辞めちゃったからね。

堀江 「俺はビルゲイツから俺の持ち分の10%あげるって言われたんだけど、あれを蹴った事を10年後悔した」って。