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10♥2030 司法書士法人 新宿事務所 阿部亮×堀江貴文 前編 1/2

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阿部亮 RYOABE
司法書士法人 新宿事務所 代表司法書士
http://www.e-shihoushoshi.com/

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北海道出身。19歳のとき陸路で世界一周。新聞配達、建設現場、工場勤務に始まり、派遣の仕事や営業マンなど20種類以上の仕事を経験し、28歳で司法書士に。2010年よりアフリカのブルキナファソ、アジアのカンボジア、ネパール、ミャンマーに毎年、小学校を建設。現在、10校目の学校を建設中。ニッポン放送ラジオ番組「阿部亮のNGO世界一周!」(毎週月曜日21時30分~)のメーンパーソナリティーを6年間務めている。

19歳で世界一周、ラジオCMは日本一、YoutubeのCMは世界一ってなんだ!?

堀江貴文(以下、堀江) 実際、過払い金ってそんなに戻ってくるんですか?

阿部亮(以下、阿部) テレビCMなどでも数字を出しているんですけども、昨年は依頼者4万9千人に平均93万円の過払い金をお返しすることが出来て、さらに、もともと借金があった方の半数以上には、借金をゼロにする結果を提供できました。

堀江 あのCMはテレビ、ラジオでホントよく見ますよ。

阿部 ありがとうございます。実は、過払い金の返金を受けられる人の想定数は1,200万人。つまり日本の人口の10人に1人が対象なんです。だからとにかく気づいてほしくて・・・。

でも、関係ない人にとっては、ただ変なCMに感じるかもしれないので、申し訳ない気持ちもあるんですよね。

堀江 まぁ、超インパクトありますしね。とにかく数多く流れてますもんね(笑)

阿部 実際はテレビより、ラジオやインターネットでのCMが多くてラジオのCM放送回数は2年連続で日本一だったようです。一昨年はYoutubeのCM放送回数が世界一になっていたみたいです。CMを増やせば増やすほど、ご相談をいただく量も比例して増えてしまい、多重債務問題はまだまだ解決していないなって感じています。

堀江 それだけ借金をしないと、生活できない人がいたってことですよね。

阿部 実は僕自身、中学生の頃に、親族が多重債務になって、最終的に破産してしまった現実を目の当たりにしたので、多重債務の人の気持ちが他人事ではないんですよね。ですから、一人でも多くの人に「借金は、借金整理や過払い金の返金で解決できるんだ!」というメッセージを届けたいという思いがあって、あのCMの多さにつながっちゃうんですよね。

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堀江 へぇ~、破産しちゃったんですか?

阿部 ええ、まあ。そんな経験もあり、新宿事務所の理念を「知的サービスを通じてひとりでも多くの人に安心と納得と勇気を届ける」ってしたんです。たくさんの人の借金整理の手伝いが出来ることで、あの頃のやるせなさを、今、仕事を通じて埋めている感じがしますし、お客さんの人数が20万人を超えたぐらいからは、生意気な話ですが、不思議な使命感すら感じています。

堀江 実体験がベースにあるというのは強いですよね(笑)それをバネに、「日本一の借金解決会社」になっちゃったというわけですね。それで、中学以降はどんな感じだったんですか?

阿部 地元は北海道なんですが、高校はなんとか卒業して、ミュージシャンになりたくて、ギターを持って東京に出てきました。

堀江 プロになれる自信があったんですか?

阿部 全然ないです。自信というか、なるって決めてました。

堀江 ふーん。それで東京に。

阿部 今、思えばバカげてますよね(笑)あの頃、「高校中退して、大学行かないでミュージシャンになる」みたいなメディアが作った変なサクセスストーリーってあったじゃないですか。浜田省吾とか尾崎豊のプロモーションみたいな。そういう幻想に憧れちゃったんです。

堀江 それで上京して、仕事はなにしてたんですか?

阿部 神奈川県にあった「いすゞ自動車」のコンテナ工場で、交代制の期間工として、色んな鉄を曲げて部品を作ってましたね。北海道から高卒で出てきたら働くところは選べなかったんで・・・、とにかく時給が少しでも高いところを探して転がり込みました。

堀江 自動車工場ねぇ。キッツい環境なんでしょ? それは、どれぐらいやってたんですか?

阿部 もう3カ月ぐらいでダメ。その後、新横浜のプリンスホテルの警備員をやったり、最後は新聞の営業と配達の両方をやる新聞販売店で働いてました。

堀江 なんか生々しいですね。じゃあ洗剤や割引券持って軒並み訪問?

阿部 そうです。でも、ちっちゃい自慢なんですけど、当時、神奈川県内で売上がナンバーワンだったこともあるんですよ。

堀江 またそこで、すごい頑張りますね(笑)。

阿部 でも、新聞は1年ちょっとぐらいやって、辞めて。

堀江 え?ナンバーワン獲っといて?それで辞めてどうしたんですか?

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阿部 その新聞販売店の仕事で貯めたお金で、世界一周に行ったんです。(笑) 音楽の夢を捨てきれてなかったから、仕事頑張りながら、徹夜とかもしてレコード会社にデモテープ作って送って・・・当然というか、レコード会社から連絡なんてこなくて。そして、どうしようもなくなって、でも、北海道に逃げ帰るわけにも行かず・・・

考えた末に、「そうだ!海外に行って、日本人の知らない音楽を見つけて、それをパクッて逆輸入すれば、新進気鋭のミュージシャン的にデビューできるかも・・・的なことを企んで、世界一周の旅へ。

堀江 あはは。まずどこに行ったんですか?

阿部 最初は中国に渡って。ウルムチって分かります?中国の一番奥の方まで行って、そこから中国を一周して、香港におりてきて、フィリピン、タイ、インド、パキスタン、イラン、トルコ、ギリシャ、エジプト、イタリア、フランス、イギリス、アメリカ・・・といった感じです。

堀江 うっわー・・・それで戻ってきたんですか。どのくらいの期間?

阿部 1年弱ですね。

堀江 本物のバックパッカーですね。

阿部 そうですね。猿岩石が流行る前でした(笑) 僕の予定では、世界一周してる間にいい曲がたくさんできて、それを持ち帰ってくればすぐにデビュー!っていう予定だったんです。

堀江 いい曲はいっぱいできたんですか?

阿部 いや、あんまりできなかったです(笑)。

堀江 何してたんですか(笑)

阿部 とにかく日常から切り離された旅人状態を楽しんでましたよ。だって毎日が冒険だもん。あの頃はまだ、スマホもインターネットもない世界だったから、国境を1つ越えるのだって、色んな国から来た旅人同士で情報交換して、RPGやってるようなものですから。Googleマップもなければ、そもそも今ある便利ツールなんかなにもない。
日本と繋がる手段は長距離電話屋に行って電話するか、大使館宛に手紙送って取り次いでもらうしかない。

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毎日がアナログなアドベンチャーだったんですよね。そうやってアドベンチャーしながらの曲づくりだったので、たいして数は作れなかった。(笑)そんな旅暮らしを1年過ごして日本に戻ってきました。

堀江 戻ってきても東京に家はなかったんですよね。

阿部 当然ないです。だから一度北海道に戻って、その後、大阪に行って、そこで今度は派遣の仕事。営業の派遣社員を4年ほどやっていました。

堀江 そんなにやってたんですか。

阿部 旅から帰ってきて、二十歳くらいから4年。司法書士の勉強をしながら派遣社員の営業マンとしてフルタイムで訪問販売なんかをして働いていました。

堀江 その時の営業成績はどうでしたか?

阿部 全国2位でした。

堀江 ハハハ。やっぱり。(笑)

次のページに続きます。

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