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「打席数×打率でヒットを作る」 國光宏尚が考える“モバイルゲーム”の未来とは?前編1/2

ホリエモンWITH 堀江貴文 國光宏尚 

國光宏尚(Hironao Kunimitsu)
株式会社gumi代表取締役社長
1974年、兵庫県生まれ。私立岡山高校を卒業後、中国、インドなどのアジア諸国、 北米、中南米などを放浪。中国の復旦大学、米国のSanta Monica Collegeで学ぶ。帰国後、2004年に株式会社アットムービーに入社。同年に取締役就任。アットムービーでは、映画・テレビドラマのプロデュース及び新規事業の立ち上げを担当。 その後、2007年に株式会社gumiを創業し、代表取締役に就任。

何度もの挫折を味わい「これが最後」と思ってモバイルゲームに移行した

堀江貴文(以下、堀江) 早速ですが、國光さんが今の会社『gumi』を作られたのは、いつ頃なんですか?

國光宏尚(以下、國光) 2007年の6月です。今から約7年半前ですね。

堀江 最初からゲームをやってたわけじゃないんですよね?

國光 そうですね。ざっくりと創業までの流れを説明しますと、僕は1993年に高校を卒業して、中国の復旦大学に4年間通っていました。そして、中国やインド、東南アジア、北米、中南米など約30カ国を2年くらいかけて旅して、アメリカのロサンゼルスで2年ほど大学に行ってから、現地で仕事をしていたんです。トータルで10年くらい海外で暮らしていたんですよ。

堀江 へー、そうだったんですね。

國光 それで、29歳の時に日本に帰ってきて、『アットムービー』っていうドラマや映画をプロデュースする会社に入りました。その時に、同時に海外での経験を活かして、『Next Big Thing!!』というブログをやっていたんですよ。これは、『TechCrunch』(IT系のベンチャーに関する情報やインターネットでの新商品などを紹介するニュースサイト)や『Mashable』(SNS系の最新情報などを配信するニュースサイト)などを見て、それを翻訳しつつ、自分でコメントを書くという感じのものでした。

堀江 すごいですね。

國光 それで、同じ頃に今の『メルカリ』(元『ウノウ』)代表の山田進太郎さんもブログをやっていて、お互いメッセージを送りあったりしているうちに、山田さんはIT の技術を持っているし、僕はエンターテインメントのノウハウを持っているので、何か一緒にやらないかということになって『gumi』を作ったんです。

堀江 最初は、何をやったんですか?

國光 最初に何をやろうか考えていた時、2007年の2月頃なんですが、「South by SouthWest(SXSW)」(映画・音楽・インタラクティブの3部門からなるイベント)でツイッターが大賞を受賞したんですよ。それで「これはすごい! 新しい時代が来る!」と思ったのと同時に、当時のアメリカって、まだPCがメインだったけれども、日本はガラケーだけどモバイルのインターネットを使っていたんです。だから、これは先にモバイル版のツイッターを先に作ろうと。

ホリエモンWITH 堀江貴文 國光宏尚

堀江 なるほどね。

國光 それで、当時は携帯のアーリーアダプターは女子高校生だったので、女子ウケするようなカワイイ感じの名前で、コミュニティ系の意味があるものということでA組、B組とかのクラスの意味の“gumi”という名前のサービスを始めたんですよ。

堀江 で、どうだったんですか?

國光 それが、まったくダメで(笑)。

堀江 まったくダメ? ハハハハハ。

國光 やっぱり、当時の女子高生にツイッターの面白さをわかってもらうのが難しかったんですよね。SXSWに来るようなネットギークはリアルタイムインターネットに興味を持って面白いと思われたんでしょうけど、日本の女子高生に説明しても、「何が面白いの?」みたいな感じでしたね。それに、ツイッターってみんなが使うと面白いけど、誰も使っていないとつまらないというのもあった。

堀江 ああ、なるほどね。

國光 それで、もう、とにかく機能をたくさん追加しようと。写真を投稿できるようにして、動画も投稿できるようにして、『前略プロフ』というのが流行っていたのでプロフィールをもっとカワイクしてとか、コミュニティもいるだろうとか……。いろいろつけていったら、ユーザー数は地味ながら増えていったんですよね。それを1、2年やってました。

堀江 2年もやってたんですか。

國光 そうなんですよ。それでユーザー数は伸びたんですけど、売上げがゼロですよ。

堀江 えっ!? じゃあ、その間、どうしてたんですか?

國光 全部、資金調達してました。

堀江 それはベンチャーキャピタルからですか?

ホリエモンWITH 堀江貴文 國光宏尚

國光 そうです。

堀江 よくやっていけましたね。

國光 そうですね(笑)。その頃のgumiは“ユーザー数の少ないmixi”とか“ゲームのないモバゲー”とか言われてました。それで、もう、これ以上は無理だろうなって思っていたんですけど、アメリカでfacebookがオープンプラットフォーム化してネットワーク上にアプリを作るという動きが起こっていたので、「最後にこれに賭ける!」と。で、facebookはその時、PCがメインだったので、次は確実にモバイル版のオープンプラットフォームとアプリの時代がくると思って、モバイルプラットフォームとアプリを作り始めたんです。そして、その後、1年くらいしたらmixiがオープン化したので、mixiのプラットフォームにそれまで作ってきたアプリとかゲームっぽいものをのせたら、先行者メリットもあって一気に伸びたんですね。

堀江 その時はゲーム以外もやってた。

國光 そうですね。最初はいろんなソーシャルアプリを作っていたんですけど、ゲームの収益が高かったので、すぐにゲームにフォーカスしていきました。

堀江 それでmixiからモバゲー、GREEに行ったと。

國光 そうですね。あの当時、DeNAとGREEって超仲が悪かったんですよね。それで、僕らはGREEさんに出資してもらっていたのでGREE側についたんです。でも、3年くらい前に「パズドラ」が出て、web用のゲームを作っててもネイティブに勝てるはずがないからということで、GREEからネイティブゲームに完全にシフトしましたね。

堀江 じゃあ、もうほとんどGREE向けはやってないんですか?

國光 そうですね。運用が残っているやつが多少ある程度ですね。売上げも全体の10%程度です。