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「あたりまえなことに違和感を感じた」という起業家としての感性 対談その1

今回のWITHは、ディアゴスティーニジャパン発行の週刊『ロビ』に掲載のロボットクリエイター高橋智隆氏と堀江貴文の対談記事をお届けします。

 

以下週刊『ロビ』より
今回対談していただいたのは、堀江貴文氏。起業家が注目されたころ、先駆けてネットビジネスで日本中の注目を集めた時代の寵児。第1回目の今回は、意外と知られていないその素顔に迫る。

世の中に対する違和感

――まずは堀江さんご自身の幼少期の話からお聞かせください。

堀江 通信簿によく「協調性がない」と書かれていましたが、世の中であたりまえだと思われていたことに対して、常に強い違和感を感じていましたね。小学生のころはテストで100点取るのがあたりまえの状態だったので、試験が始まってもほどなくして終えていました。そうすると退屈だけど、寝たら怒られるし本も読めないから、その日の最後の授業の場合は「帰っていいですか」といって帰ったりしていました。

高橋 そうした世の中に対する違和感はいつごろまで続いたんですか。

堀江 東京大学に入学したものの、次第に行かなくなって結局退学するんですが、そのころから「なーんだ、別に自由に生きていっていいんだ」と思うようになりました。講師の先生は自分の研究がしたいだけで学生に教えようなんて気持ちが見えないし、自分が書いた本を授業で読んでいるだけだったので、大学に行ってもつまらないわけです。ちょうどそのころオン・ザ・エッヂという会社を設立したので、自分がやりたいことをして自由に生きていっていいんだと思えたのはすごくよかったです。

高橋 それは起業家としてたいせつな感性だったのかもしれませんね。

堀江 当時、役員をしていた仲間にも完全にドロップアウトした者がいて、彼は小学校時代、思い通りにならないと全裸になって全クラスを叫んで回ったそうです(笑)。思考能力が高いし考え方もぶっ飛んでいて、社会の仕組みが当人とは相容れないことは明らかにわかる。変えられない状況に無理やり押し込められるのは、矯正下着をつけられたような気分なわけです。

だから、たとえばとある天才ハッカー集団が、天才的頭脳を持ちながら反社会的なことをしてしまうのは、ある種、彼らも社会に大きな違和感や重荷を感じていたわけで、それを打破するために自分たちができる手段で世界にアピールしているんだと思います。

ライブドアはそういう会社ではありませんでしたが、世の中を変えたくない人、あるいは変えたくても変えられない自分にストレスを感じている人から見れば、嫉妬や羨望の対象だったり、ある種の抵抗勢力だと思われたのはまちがいないと思います。

1DXB32842人の最初の出会いは、偶然に居合わせた居酒屋にて。半年ほど前には、堀江氏が主催したロケットクリエーターのイベントに高橋氏がゲストで参加。(Photo by 澁谷哲之)

 

コンピュータとの“再会”

高橋 起業するきっかけは何だったんですか。

堀江 もともとは研究者になろうかなと思っていたんです。寮の先輩に東大の最先端の研究所を見せてもらったんですが、予算がつかないために古い機材や台湾製のアッフルII(パソコン)の海賊版が無造作に置いてあるわけです。話を聞いてみると、政治的にがんじがらめで、僕が思い描いていた研究者の世界とはちがっていたんです。「ああ、これは俺が行く世界じゃないな」と思った瞬間に、希望がなくなっちゃった。

それから麻雀や競馬にハマるわけです。ハマり方が半端じゃないところがあって、競馬は毎日のようにやっていました。そのときに、競馬ソフトを使うことがあって、久しぶりにパソコンに触ったわけです。それがきっかけで「ああ、俺、パソコン得意だったな」と思って再びそちらに進みました。

――中学校のときにコンピュータを買ってもらい、プログラミングに熱中してたんですよね。

堀江 ええ。ただ、子どものときは長続きしませんでした。あの世界は、非常にオタクな世界で、僕はそういう世界が好きじゃなかった。オタクは1つの事柄にすごい執着があって、それをずっと続けられますが、僕はある程度のレベルまでいくと先が見えてしまって、続けられなくなるんです。僕はあきるのも早いです。

高橋 プログラミングもそれ以降はやらなかったんですか?

堀江 プログラマーとしての能力に限界も感じていたし、何よりも当時は、コンピュータをやっている人というのは、格好悪かったんですよ。

高橋 ロボットも注目を集めていますが、まだ一般の方のイメージとしてカッコいいものかどうかわかりません。

堀江 高橋さんの影響でロボットの地位は向上しましたが、僕もIT企業の先駆けとして地位向上を果たしたという自負はあります。いまはIT企業って人気が高く、女子社員があふれていますからね。

で、パソコンが得意だったことを思い出して、ちょっとまじめにやらなきゃなと思って、ソフト制作会社でアルバイトを始めたんです。やがてインターネットの時代が来て、自分でサーバー設定からプログラミングまで全部やってインターネットの事業を立ち上げて、その後独立したというわけです。

 

やりたいことが山ほどある

高橋 どんな分野でもいいから何か事業をしたかったというタイプの実業家は多いですが、堀江さんの場合は最初にやりたいことがあって、必然性のなかで起業されたんですね。

1DXB3471高橋氏の研究室にて対談。堀江氏の饒舌な語りっぷりは、変わらない。(Photo by 澁谷哲之)

堀江 インターネットに出会ったときに、現在のような世の中が見えたんですよ。

高橋 それはすごい。たぶんその現場にいると見えるんでしょうね。ところで、インターネットの流れは勝手にできていくだろうと思っていたのか、それとも自分がやればなんとかなると思ったのか、どちらでしょうか?

堀江 両方ですね。「俺はこの革命に参加したい」と思いました。「この時代にこんな面白いものに出会えて、ここに関わらないなんて絶対に嫌だ」と思いました。ネットに関わることは何でもやりたいと思ったから、そのためには会社を作ってある程度自由にやる必要があると考えたわけです。その後も会社を拡大していったのは、自分がやりたいいろんなことを全部やるためだったんです。

高橋 新しい時代が来るという高揚感は、すごかったでしょうね。

堀江 ワクワクしました。

高橋 そういうのに巡り合えるのは、幸せですよね。僕はいまロボットがそういう時代を迎えつつあると思っていて、幸運を感じます。

堀江 いまは以前よりももっとやりたいことがたくさんあるんです。宇宙事業もそうだし、スマートフォン革命もそう。今後のスマホは、ウェアラブル(身につけて持ち歩ける)なのかインプラント(体に埋め込む)なのかわかりませんが、情報通信デバイスが進化することはまちがいないでしょう。

医療機器も猛烈な小型化が進むだろうし、EV(電気自動車)や自動運転技術はどんどん進化し、やがて高速道路を走る車は自動運転になるでしょう。そういうことを考えると、やりたいことは本当にいっぱいあります。そして、絶対にやろうと思ってます。

 

週刊『ロビ』 40号 発行:デアゴスティーニ・ジャパン Photograh=澁谷哲之